黒糖焼酎の原点
奄美大島が薩摩に支配されていた江戸末期の文献に黒糖焼酎の原型とも言える酒の記述があります。酒は明治の時代までは家庭で、味噌や醤油を作るのと同じように造られていたようです。その後動乱の時代に入り、度重なる戦争により原料の入手が困難になりました。奄美大島でも琉球の支配下にあった時代も長く、古くから泡盛を造っていましたが、戦時中米不足が続き泡盛の製造が困難となり、サトウキビを材料とした黒糖酒を本格的に造るようになったとされています。しかし糖類を原料とする酒類は日本の酒税法では「ラム酒」以外認められず、税金も高いものでした。そのため戦後の復興で経済的にも苦しかった島民を救うために、1953年に米軍統治下から奄美群島が日本復帰を果たした後、黒糖酒づくりに米麹を使うことを条件として黒糖焼酎製造の特例が認められました。そして今も黒糖焼酎は奄美大島にだけにその製造が認められた希少な焼酎となっています。これは地域文化が得た大変な財産であり、私達は永遠に黒糖焼酎の価値を伝え続けていかなくてはなりません。
サトウキビの秘話
500年以上も昔の話です。奄美大島に直川智翁という方がおりました。1605年、翁は琉球に渡ろうと海に出ますが、途中台風に遭い、中国・福建省に漂着してしまいます。その後、翁は約1 年半、中国に滞在し、サトウキビの栽培技術を習得。帰国時にサトウキビの苗3 本を持ち帰ったと伝わります。その3 本の苗を奄美大島の大和村で植え育てたのが、奄美大島でのサトウキビ栽培の始まりでした。奄美大島開運酒造の工場がある宇検村には、現在、約12 ha の作付面積があり、年間約400t の糖度の高い良質のさとうきびを収穫しています。
天然の黒糖
黒糖は、精製時にサトウキビ本来のミネラル、ビタミン類などが失われることなく、体に必要な成分がバランスよく凝縮されている、とても栄養価の高い自然食品です。黒糖は、天然のサトウキビの搾り汁を長い時間と手間をかけてじっくり煮沸します。でき上がった黒糖には、サトウキビの天然の甘さが凝縮。まるで果実のようなやさしく後味の良い甘みが広がります。奄美大島の特産品である黒糖から焼酎製造が認められているのは、奄美大島をはじめ、奄美群島だけなのです。