ブランデーの歴史を知ろう奇跡の産物ブランデーはワインが傷んだから苦肉の策で誕生した

「ブランデーが好きなんだけど、いつ頃からあるお酒なの?」

「ブランデーについてもっと知りたい。どこでできたお酒なの?」

 

ブランデーを愛飲しているあなた。このような疑問をお持ちではないでしょうか。

 

たしかにブランデーの原料や産地、製造工程を理解している方でも、ブランデーの歴史まで知って飲んでいる方は少ないと思います。

 

本稿では、ブランデーの起源や歴史、日本産のブランデーについて詳しく解説していきます。最後まで読んでいただくことで、ブランデーをより深く楽しむことができるようになります。

 

ブランデーの語源

ブランデーの起源は中世時代にまでさかのぼります。13世紀ごろにスペインの哲学者がブランデーについて記載した文献が世界最古のものとなっているのですが、この文献にはこう記されています。

 

「ペストが流行していたころに、錬金術師がワインを蒸留した液体を不死の霊薬として売っていた。その液体はアクアヴィテ(生命の水)と呼ばれ重宝されていた。」

 

ではアクアヴィテ(生命の水)と呼ばれていた液体は、どこでブランデーと名付けられたのでしょうか。

 

始まりは近世時代、オランダの商人が焼いたワインという意味を持つヴァンブリュレというフランス語をブランデウェインというオランダ語に翻訳した名前で輸出していました。

 

それはやがてイギリスにも渡り、ブランデウェインをブランデーと省略したことがブランデーという名称の始まりとされています。

 

ではブランデー本場のフランスではなんと呼ばれているのでしょうか。

 

フランスではオー・ド・ヴィー(生命の水)という名で呼ばれており、今もなおブランデーは生命の水として親しまれています。

 

ヨーロッパで普及

スペインのブランデーの歴史は古く、コニャックやアルマニャックという高級ブランデーの産地であるフランスに製造方法を伝えたのはスペインだと言われています。

 

先程の文献に登場した錬金術師のスペイン人はアルノー・ド・ビルヌーブといって医者と薬剤師でありながら錬金術師という肩書きを持つ人物です。

 

ちなみにこの時代の錬金術師とは、様々な物質や人間の肉体、魂を対象としそれらをより完全な存在に錬成しようとしていた人たちのことを指します。

 

そんなアルノー・ド・ビルヌーブがワインを蒸留して最初のブランデーを作ったと言われています。

 

そこから時は流れ、16〜17世紀後半にヨーロッパ全体が記録的な寒波に襲われてしまいます。そこに宗教戦争まで勃発してしまい、盛んに製造されていたワインの質が落ちてしまいました。

 

かの有名なフランスのコニャック地方で製造されていたワインをオランダの商人が輸送していたところ、長く険しい航路に耐えられずワインか酸っぱく酸化してしまいました。

 

これではダメだと考えた末に、泣く泣くワインをさらに蒸留して運ぶことにしました。

 

ところが、これが意外にも美味しいと話題になりオランダ語でブランデウェイン(焼いたワイン)として取引されていたのです。

 

ではスペインで誕生したにも関わらず、フランスで製造が盛んになったのはなぜなのでしょうか。

 

15世紀フランスで生産開始

ルイ14世

 

13世紀ごろにスペインで初のブランデーが誕生してから2世紀が経ち、フランスに伝えられた製造技術は進化を遂げ、品質の高いブランデーが各地で作られていました。

 

その地方で作られたブランデーとして有名なのが、三大ブランデーにも数えられる「コニャック」と「アルマニャック」です。

 

「コニャック」の始まりは15世紀ごろ、フランス産で有名だったワインを調査するためにオランダからの船がフランスコニャック地方の港に到着しました。

 

ですがこの調査の目的は、当時フランスから輸入されていたワインの質が落ちている理由を探るためだったのです。

 

調査の結果、フランスのワインは品質を保つことに長けておらず長い航路に耐えられず腐食してしまっていたのでした。

 

これをどうにかしようとオランダ人がフランスのシャラント県に新たに蒸留所を作り、ブランデーの製造を始めました。これがコニャックの始まりと言われています。

 

「アルマニャック」はコニャックよりも歴史が古く、フランスで14世紀ごろから作られているようです。

 

スッキリとした味わいのコニャックに対して、古くより伝統的な製造を続けているアルマニャックはエッジの効いたワイルドな口当たりになっています。

 

アルマニャック地方には1411年に製造技術が伝搬されています。つまり14世紀ごろでコニャックが製造開始された15世紀よりも前ということになります。

 

その後はコニャックと同じような道をたどり高級ブランデーになりますが、その後押しをしたのがフランス王のルイ14世です。

 

ブランデーに魅せられたルイ14世は以下の勅命を出します。

「何人もブドウ酒以外のいかなる物質からもスピリットを製造することを禁ずる」

 

この勅命が出されたことで、ブランデーはヨーロッパ中で「王侯の酒」としての地位を確立し、爆発的に普及していくことになります。だから、ブランデーにはいろいろな飲み方のバリエーションが多いのでしょう。

 

日本におけるブランデーの歴史

15世紀ごろから、フランスで製造工程が確立され爆発的に普及していったブランデーですが、令和になった現在では日本は世界有数のブランデー産出国となっています。

 

では日本はいつからブランデーを製造するようになったのでしょうか。

 

始まりは1892年(明治25年)に甲斐産商店というメーカーが製造した「大黒天印ブランデー」とされています。

 

「大黒天印ブランデー」にも入っている「大黒」のブランドですが、1886年(明治19年)に甲斐産葡萄酒製造所が販売していた「大黒天印甲斐産葡萄酒」からラインナップのひとつとして発売されました。

 

ですが当時はブランデー自体が日本国民に馴染みがなく、普及するには至りませんでした。

 

その後日本で国産のブランデーが本格的に製造され始めたのは1960年以降で、戦後の復旧が完了しブドウの生産が軌道にのってきていたのが本格的に製造を開始した理由と言われています。

 

中にはフランスで使用している蒸留器と同じものを採用して蒸留しているメーカーもあります。

 

ただし日本の気候はブランデー用のブドウを栽培するのに適していません。ですので日本国内でブドウの産地として有名な甲州産のブドウで原酒を製造し輸入原酒とブレンドしてブランデーを製造することが多くなっています。

 

とはいっても、各メーカーは輸入原酒とブレンドして出来上がりということではなく、こだわりを持って日本人の味覚に合うような調合をして販売しています。

 

まとめ

最後まで読んでいただきありがとうございました。

本稿ではブランデーの歴史についてお話ししてきました。ポイントは以下の通りです。

  • 世界最古のブランデーはスペインで作られた
  • ブランデー本場のフランスで製造され始めたのは15世紀ごろから
  • 日本で本格的にブランデーが製造されたのは1960年以降であり、国産メーカーの努力により普及してきている

 

これらのポイントを頭の片隅に置いてブランデーを飲んでいただくことで、誰かと飲んでいる時に知識として教えてあげられたり、1人で飲んでいてもブランデーに思いを馳せながら楽しむことができると思います。

 

あなたがブランデーをより深く楽しむことのできる一助となりましたら幸いです。

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