ビールの歴史を知ろう。紀元前3000年以上前から造られているビール。

今や、日常生活に欠かせない存在となった「ビール」。あなたは、どんなときに飲んでいますか?仕事終わりや学校終わり、週末にはお昼から飲んだりする人も多いのではないでしょうか。

 

そんな私たちの日常を彩るビールですが、ビールはいつ・どこで誕生したのかご存じですか?実は、ビールの歴史は古く、なんと紀元前3000年ごろまで遡ります。

 

今回は、そんなビールの歴史をさらに掘り起こして、現在のビールまで至った道のりを辿りましょう。今まで知らなかったビールの歴史を知れば、もっとビールが好きになっちゃうかも。

 

世界のビールの歴史

人類史上初めてのビールが誕生したきっかけは、農耕文化によって作られたパン。このパンが雨などによって水浸しになり、偶然発酵したことで、ビールが誕生したといわれています。紀元前3000年ごろに誕生したとされるビールですが、「偶然」という神様のいたずらかもしれませんね。

 

こうして人々の暮らしに偶然現れたビールは、ヨーロッパでさまざまな変化を遂げて、全世界へと渡っていきます。

 

ビールの発祥は古代

エジプト文明

 

ビールが誕生したのは、人々が田畑を耕すようになった新石器時代以降といわれています。紀元前7000〜8000年ごろ、メソポタミアを含む「肥沃な三日月地帯」で田畑を耕す農耕文化が生まれたことをきっかけに、紀元前3000年ごろには、シュメール人によってビール醸造に関する最古の文字記録がくさび形文字で残されました。

 

一方その頃、エジプトでもビール作りが盛んに行われます。紀元前2700〜2100年ごろにはメソポタミア同様、墓の壁画にビール作りの様子が描かれており、この頃からビール造りが行われていたことが分かりますね。

 

当時製造されていたビールは「シカル」と呼ばれ、現代のビールとは大きく異なります。ビール製造に大事なホップは使用されず、味付けには薬草やはちみつなどさまざまな原料が使われていました。そのまま飲むだけでなく、栄養素を摂取する滋養食品としたり、神様へのお供物や現金としても好まれていたそう。

 

エジプトでは、あの有名なピラミッドを建造する労働者に、ビールが配られていたとか。当時のビールがミネラルたっぷりの滋養食品として愛されていたので、疲労回復にはぴったりだったんですね。このことから「ビールがピラミッドを作った」といわれています。

 

ビールの語源とは

ここで気になるのが「ビール」の語源。ビールという言葉は、一体どこからきたのでしょうか?

 

諸説ありますが、ラテン語で「飲む」を意味する「bibere(ビベール)」が由来であるという説や、ゲルマン語で「大麦・穀物」を意味する「beuro(ベウロ)」が由来であるという説もあります。いずれにしても、ヨーロッパ周辺で誕生した言葉が由来になっているということは間違いなさそうです。

 

ホップの起源は

ホップ

 

ビールが誕生した新石器時代には、まだビール造りに使用されていなかったホップ。では、ビールを製造するうえで大事な原料の一つであるホップが使用されるようになったのは、いつからでしょうか?

 

諸説ありますが、最も有力なのは、紀元前1000年ごろコーカサスに住んでいた民族が、ホップを添加してビールを作っていたのが始まりといわれています。

 

このビールにホップを添加するという醸造方法は、少しずつ周辺の民族へと伝播し、おいしいビール造りに影響を与えました。ビールの原料についてはこちらを御覧ください。

 

中世のビール

中世に入ると、ゲルマン民族の大移動によってビールはヨーロッパ各地に広がっていきます。技術的にも進歩したことで、一部の民族だけでなく一般の庶民にも飲まれるようになりました。

 

こうして一般的に広く知れ渡るようになったビールは、当時権力を強めていた教会や修道院が行う生産活動の一環としても製造されるようになります。農民たちは、せっせと農作業に勤しみ、大麦などの農作物を収穫。それらを原料として、ビールの醸造に力を入れていきました。

 

では、どうして当時の教会や修道院ではこのようにビール造りが行われていたのでしょうか?

 

それは、当時の人々とってビールは飲み物としてだけでなく、栄養がしっかりと取れる食事としても重宝されていたから。清潔な水を飲むことさえ難しかったこの時代、ビールは水分補給ができる飲料でありながら、栄養満点の食事でもあったのです。こうした背景があり、ヨーロッパ各地の教会や修道院では、ビール造りが盛んに行われていきました。

 

1516年、ビール造りに大きな変化が訪れます。「ビール純粋令」の交付です。これは、「ビールは大麦・ホップ・水のみを原料としなければならない」という内容のもの。ドイツビールの精神であり、現在でもドイツ国内で製造・消費される下面発酵ビールで守られている掟でもあります。

 

「ビール純粋令」が交付されたのは、品質が高いビールを守るため。当時は、ビールの香味づけや腐敗防止のために「グレート」と呼ばれる薬草などを配合したビールが多く製造され、ビールの品質を脅かしていました。

 

「ビール純粋令」の交付により、品質が低いビールは姿を消し、ビールの品質を向上させることに繋がっていきます。

 

近代のビール

近代に入ると、ビール造りが大きく進化していきます。ビールの種類も多種多様となります。

 

中世までは、ビールが腐敗しないように涼しい時期にビール造りが行われていました。だいたい9月ごろから3月の間に、1年で飲む大量のビールを製造するのです。しかし、気温が低すぎる冬には、うまく発酵が進まないというトラブルもあったとか。

 

こうした状況のなか、15世紀にドイツのミュンヘンで、とあるビールが誕生します。そうです、下面発酵のラガービールです。

 

当時のビールは、「高温で短時間、貯蔵と発酵」を行う上面発酵のエールビールが主流。「低温で長時間、貯蔵と発酵」を行うラガービールは、当時のビール造りに大きな変化をもたらし、広い地域に広まっていきます。

 

19世紀になると、ラガービールの噂はボヘミア(現在のチェコ)まで広がります。現地の人々は、この噂を聞きつけ、「ラガービール」を製造するために「市民醸造所」を建設。

 

本場ミュンヘンの醸造師を招き、ラガービールの製造を開始します。こうして、今や世界中で愛されている「ピルスナー」が誕生したのです。

 

ピルスナーが誕生してからすぐ、1883年にはデンマークのカールスバーグ研究所で、ビール作りに適した酵母だけを確保する方法を発見します。発明者のエミール・クリスチャン・ハンゼンは「酵母純粋培養法」と呼ばれるこの方法を応用し、実用化に成功。

 

これまで主流だった、職人が発酵状況をチェックする手間がなくなり、安く大量に製造できる近代的な大量生産への道が開かれたのです。

 

この年代の製造法が今のビールの作り方に大きく貢献しているのです。

 

現在の世界のビール

バドワイザー

 

現在、世界のビールの売り上げトップを誇るのは、ベルギーの会社でバドワイザーを販売する「アンハイザー・ブッシュ・インベブ社(ABインベブ社)、2位はオランダの会社でハイネケンを販売する「ハイネケン」、3位はデンマークの会社でカールスバーグを販売する「カールスバーグ」で、4位は中国の会社で雪花ビールを販売する「華潤ビール」、この4社で世界の約50パーセントを占めています。

 

その後には、アメリカの「モルソン・クアーズ」や中国の「青島ビール」、日本の「アサヒビール」、中国の「燕京ビール」、日本の「キリンビール」、そしてタイの「タイ・ビバレッジ」が続きます。

 

世界のビール会社は、2000年以降の合併や買収が続いたことで、世界のシェアを奪い合っている状況が続いています。

 

世界のマイクロブルワリー

こうして、今や世界中の人々に愛されるようになった「ビール」。街を歩くと、出来立てのビールを楽しめる飲食店やビールを購入できる酒販店など、さまざまな形でビールを見かけることがあるでしょう

 

「ブルワリー」や「ブルーパブ」などの名称を聞いたことがある人もいるかもしれませんね。

 

アメリカでは、こうしたビールを取り扱う場所をしっかりと区別しており「マイクロブルワリー」・「クラフトブルワリー」「ナノブルワリー」「ブルーパブ」などの名称があります。

 

「マイクロブルワリー」とは、簡単にいうと小規模な醸造所のこと。年間生産量が15,000バレル(約1,750kl以下)で、そのほとんどにあたる75パーセント以上を卸売業社を通して販売します。

 

中には、自社が卸売業者となって小売販売をしたり、ビールを取り扱うレストランに販売したりすることもあるそう。日本のクラフトビールを手がける、ちょっと大きな醸造所をイメージしたら分かりやすいでしょう。

 

クラフトブルワリー

ブルワリー

 

「クラフトブルワリー」とは、「マイクロブルワリー」より大きい醸造所のこと。ただし、以下の3つの条件を満たす必要があります。

①小規模な醸造所であること
②独立していること
③伝統的であること

 

まず①の「小規模な醸造所であること」は、大手ビールメーカーのように大量にビールを醸造するのではなく、年間生産量が600万バレル(約70万kl以下)であることが重要です。

 

そして②の「独立していること」は、他の酒造メーカーに属すことなくビールを醸造していることが条件。

 

最後は③の「伝統的であること」。これは、ビール造りの基本である麦芽を100パーセント使用すること。もちろん、さまざまなビールスタイルが存在するため、全てがこの通りではありません。

 

しかしこれは、あくまでアメリカでの話。日本に置き換えると、①の「小規模であること」は全く小規模ではありませんし、②の「独立していること」も他の会社と提携して行う醸造所もあるため、100パーセントとは言えません。

 

さらに、③の「伝統的であること」も、日本では発泡酒や第三のビールの存在があるため、一概にはいえません。

 

ナノブルワリー

「ナノブルワリー」とは、マイクロブルワリーよりも小さい醸造所のこと。ここまでの大きさを比べると、①クラフトブルワリー②マイクロブルワリー③ナノブルワリーの順に小さくなっていきます。

 

アメリカでは、徐々に市場を拡大しつつあるものの、「ナノブルワリー」のしっかりとした定義は未だ不確かなもの。マイクロブルワリーの年間生産量15,000バレル(約1,750kl以下)を下回る醸造所が、この「ナノブルワリー」に分類されるという、非常に曖昧な基準のようです。

 

ブルーパブ

「ブルーパブ」とは、醸造所を表す「ブルワリー」と居酒屋を表す「パブ」が語源になっており、出来立てのビールを楽しめるレストランを併設した醸造所のことを指します。日本では「ブルワリー」と呼ばれることが多いです。

 

最近では、この「ブルーパブ(ブルワリー)」と呼ばれる醸造所が日本全国で見られるようになりましたね。一番新鮮なビールを味わえるとあり、ビールを愛する人々を始め、多くの人々が足を運びます。

 

世界各国のブルワリー

ここからは、世界各国のブルワリーを見ていきましょう。

●イギリス
エール発祥の地として有名なイギリス・バートンを中心に、多くのブルワリーが存在します。エールビール発祥の地とのことで、エールに特化したブルワリーが多数。もちろん、ラガービールや白ビールなどのビアスタイルを醸造するブルワリーもあります。最近では、日本と同様にクラフトビールの人気が高まりつつあるようです。

 

●ドイツ
2016年時点で、ドイツにあるブルワリーの市場占拠率は約1パーセントほど。その多くが100klにも満たない小規模の醸造所であるそうですが、その大部分の醸造所では新鮮なビールを楽しめるパブを併設しており、人気を誇っています。

 

●イタリア
1990年代半ばから、日本と同様にクラフトビールブームが到来。2000年に突入すると、ブルワリーの数は1,000を超えました。栗を使用したり、ブドウを使ったりと、他ではあまり使用しない副原料を用いてのビール造りは、他国から参考にされているそうです。

 

●カナダ
カナダでは、主に西海岸でビール造りが盛んに行われています。大手のビール会社が多く、それに比例するようにしてブルワリーも増加の一途を辿っています。2015年時点で、ブルワリーの数は520ヶ所ほど、市場占拠率が10パーセントにも上ります。

 

●中国
世界最大のビール消費国である中国でも、クラフトビールの勢いが高まりつつあります。とある北京のビール工場では、製造時に中国にゆかりのある添加物や香料が使用することで、自国の人々をターゲットにクラフトビールをアピール。クラフトビールの人気は中国も例外ではなく、多くの人々がこうした個性あふれるクラフトビールを手がけています。

 

日本のビールの歴史

日本では、どのようにしてビールが広まったのでしょうか?

 

日本にビールが初めて伝わったのは、鎖国の時代。当時、唯一開港していた長崎県の出島から全てが始まりました。外国の文化にとても敏感だった当時は、ビールが広まるまでに多くの時間を費やします。

 

日本で初めてビールを醸造したのは、幕末の蘭学者・川本幸民といわれています。彼は、自身が訳した「化学新書」の中で上面発酵や下面発酵などのビール造りについて解説しており、実際にビール醸造も行ったと推測されています。

 

日本で最初のビール醸造所は

幕末には、海外から多くの人々が訪れるようになり、横浜や神戸などに外国人居住区が設置されるようになります。それにより、海外からの洋酒やビールの輸入が増加。しかし、この時代はまだまだ高価な飲み物でした。

 

そんななか、1869年に日本で最初のビール醸造所「ジャパン・ブルワリー」が横浜の外国人居住区で開業。その後は、外国人の手によってさまざまな場所で多くのビール醸造所が誕生するようになりました。

 

中でも有名なのは、キリンビールの前身である「スプリング・バレー・ブルワリー」。アメリカ人の醸造師ウィリアム・コープランドが日本で開業したブルワリーで、日本人にも好評だったとか。

 

コープランドは、日本人にビールの醸造技術を伝えていき、その後の日本のビール産業において重要な役割を果たします。

 

明治にあった地ビールの時代

コープランドの登場により、日本のビール産業は大きく動き出します。

 

1872年、大阪府で渋谷庄三郎により、日本で初めてのビール会社「渋谷ビール」が誕生。これをきっかけに、1873年に山梨県で野口正章により「ミツ鱗ビール」、1879年には東京都で金沢三右衛門により「桜田ビール」などが続々と誕生します。

 

どのビール会社も、ビールの品質はどれも好評でしたが、業績が伸び悩み徹底を余儀されています。

 

4大ビールメーカーの出現

今の日本を支える大手ビールメーカー4社が登場したのも、この頃。

●キリンビール
アメリカ人醸造師コープランドによって横浜に開業したのは、キリンビールの前身である「スプリング・バレー・ブルワリー」。1884年に破産したのち、その跡地には「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」が設立し、1888年には「キリンビール」が発売されます。

 

●サッポロビール
明治時代になると、北海道を開拓するために北海道開拓使が設置されます。1876年、彼らによって「開拓使爆酒醸造所」が開業され、1877年には「サッポロビール」が発売。国内に住む外国人に熱い評価を受け、東日本を代表するビールにまで成長します。開拓使が廃止されると、当時の政財界に影響力を持つ渋沢栄一、浅野総一郎によって「札幌麦酒会社」が設立されました。

 

●エビスビール
1887年、当時のビール産業に着目した中小資本家たちが集まり、「日本麦酒醸造会社」が設立されます。ドイツ人醸造師とドイツ製の設備品によって、1890年「エビスビール」が誕生。しかし戦後、日本麦酒という会社が「サッポロビール」と「エビスビール」を継承することになり、当時の4大ビールメーカーは終わりを迎えます。

 

●アサヒビール
1889年には、大阪・堺の蔵元出身である鳥居駒吉が中心となって「大阪麦酒会社」が設立します。技師を本場ドイツに留学させ、帰国後には日本で初めて近代ビール三大発明を採用。2人のドイツ人技師も雇い、1892年には本場に負けないビール「アサヒビール」を発売します。

このときは、今の4大ビールと呼ばれる「サントリー」の姿がありません。サントリーが登場したのは、当時の4大ビールの登場から少し遅れた1963年。ジャパニーズ・ウイスキーの製造だけに留まらず、2代目社長の佐治敬三がビール事業にも挑戦したことにより、日本独自のビール文化を支える4大ビールが形成されました。

 

生ビール論争

生ビール

 

こうして、大手ビール会社は新商品の販売や開発を激化。ビールの販売競争が行われるようになりました。

 

1967年には、サントリーが熱処理をせず、酵母菌を除去したビール「純生」を発売。このことをきっかけに、熱処理をしないビールを生ビールと呼ぶようになり、徐々に人気を集めるようになります。

 

1968年には、サントリーに負けじとアサヒビールが「本生」を発売。この商品は、熱処理をせずに酵母菌が入った状態のビールとして販売されたことで、両者の間に酵母菌の有無を巡って「生ビール論争」が激化します。

 

結果、この論争は1979年に公正取引委員会によって「生ビールは、熱処理をしないビールの全て」と決定されたことにより、酵母の有無に関係なく生ビールと呼ばれるようになりました。

 

ドライビール戦争

アサヒドライビール

 

1985年以降、ビールの販売が激化していたなか、1987年に衝撃的な商品が販売されます。今でも多くの人々に愛される「アサヒ スーパードライ」の誕生です。

 

この商品の登場は、日本全土に大きな衝撃を与え、予想を超えるヒット作となります。これがきっかけとなり、大手他社もドライビールを販売。ドライビール戦争の始まりました。

 

発泡酒戦争

淡麗 発泡酒

 

もともと発泡酒は、戦時中に飲むビールの代わりとして開発されていた商品でしたが、高度経済成長による生活レベルの向上により、少しずつその姿を消していきました。

 

しかし、バブルが崩壊したのち、1994年にサントリーが発泡酒の「ホップス」を販売。これに続いて、大手他社も発泡酒の開発に力を入れていくようになります。

 

1996年、2003年の2度に渡り発泡酒の増税が行われましたが、相次ぐ不景気の影響により、発泡酒の成長は続きます。

 

第3のビール戦争

ドラフトワン 第3のビール

 

発泡酒の誕生から程なくして、2003年にはサッポロビールが麦芽も麦も使用しない「ドラフトワン」を発売し、大ヒット商品となりました。

 

これをきっかけに、日本全国で第3のビール戦争が始まります。今では、スーパーやコンビニなどで多くの第3のビールを見かけるようになりましたね。

 

しかし、2026年にはビールから発泡酒、第3のビールに至るまで全てのビールの酒税が統一されることが決定しており、ビールの需要が高まることが予想されています。

 

国内のマイクロブルワリー

日本では、1994年に酒税法が改正されることをきっかけに、小規模な醸造所であるマイクロブルワリーが続々と誕生します。

 

このとき、ビール免許を取得するためには「1年間に最低2,000kl」のビールを製造しなければならない条件が「1年間に最低60kl」に引き下げられました。これにより、小規模な醸造所でもビールの製造が可能になったのです。

 

地ビールブーム

こうして、日本全国でマイクロブルワリーが誕生し、地ビールブームが始まりました。日本で初めて製造された地ビールは、北海道の「オホーツクビール」と新潟県の「エチゴビール」。現在まで続くマイクロブルワリーです。

 

1990年代後半から2000年代にかけて地ビールブームはひと段落しますが、一部の醸造所では個性的なビールを作り続けます。その後、「地ビール」は「クラフトビール」という名称に形を変え、再び人気を集めるようになります。

 

まとめ

今や、世界中の人々に愛される大人の飲み物、ビール。5000年の歴史を持つビールは、さまざまな姿に形を変え、どんどん美味しくなっていることがわかりました。その影には、ビールへの愛情を持つ人々の努力があったのでしょう。

 

現在では、4大ビールメーカーや地域に根ざしたクラフトビールを味わえるお店も増えました。旅行先や出張先、ちょっと足を伸ばしてみた場所で、美味しい個性的なビールを味わってみませんか?一人ひとりがビールの楽しい飲み方をみつける機会になりそうです。

 

日本の各ビールメーカーは、醸造家たちの思いが凝縮した大人の飲み物。彼らの思いが詰まったビールを味わって、今日まで続くビールの歴史に思いを馳せてみてもいいかもしれませんね。

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