ワインの歴史というと、フランスやイタリアをイメージする方は多いのではないでしょうか。実は、ワインの発祥は諸説あります。このページでいいたいのは、ワインは文明や人々によってヨーロッパを中心に世界に広がったということです。
ワインは人々の歴史とともに広がり、世界中で愛されているお酒です。日本の時代劇でも、あの有名な人物がワインを手にしているシーンを観たことがあるかもしれません。
歴史を知ることで、いつものワインがより一層美味しく楽しくいただけるはず。こちらでは、ワインの深く長い歴史をご紹介していきます。
目次
紀元前6000年頃のジョージア
ワインの発祥は、紀元前6000年ごろのコーカサス地方(現在のジョージア周辺)だとされています。ジョージアとは、ソ連構成国だったグルジア共和国のことで、2015年ジョージアに国名が変更されています。そのジョージアでは、使用されていたと考えられるつぼ型の土器とブドウの痕跡が発見されているんですね。(地図ではグルジアと記載)
ジョージア周辺には野生のブドウがあり、これを人々は採集していたと考えられています。ブドウは採集され時が経つと発酵します。これが現在考えられているワインの原型です。
紀元前6000年というと新石器時代、日本では縄文時代初期のこと。考古学上では不明な点も多くはっきりとしたことはわかっていません。
しかし、意図してブドウを発酵させるというよりは、偶然発酵してしまったというのが正確なところでしょう。ワインは偶然から生み出されたお酒なのかもしれません。
紀元前3000年頃のメソポタニアやエジプトへ
ジョージア周辺で生まれたとされるワインは、古代メソポタミア(現在のイラク周辺)や古代エジプトへと広がっていきました。
メソポタミア文明を築いたといわれているのは、シュメール人です。彼らは「ギルガメッシュ叙事詩」に、造船に携わった労働者にワインが振舞われたと記しています。
これがワインについて書かれている最古の文献です。さらに、ワイン造りに必要なブドウの果汁を採る石臼、ブドウを栽培する畑の痕跡も発見されています。
また、紀元前3000年頃の古代エジプトの壁画には、ワイン造りに必要な圧搾機やつぼが描かれています。これはエジプトの第一王朝の頃からのもので、人々がワイン造りをしていた証拠とも考えられているものです。
さらに、ワインは「旧約聖書」にも登場します。箱舟で知られているノアが、ブドウを植えワインを造ったという内容です。
文献や壁画にも記されるようになったワイン。途方もなく昔の記録ですが、ワインはこの時代から人類の近くにあったようです。
紀元前1500年頃の古代ギリシャ
ジョージアで生まれメソポタミア、エジプトへと伝わったワインですが、さらに広がりを見せていきます。次に伝わったとされるのは、紀元前1500年頃の地中海沿岸や古代ギリシャです。
ここで活躍するのは、フェニキア人。フェニキア人は地中海で交易する人々で、エーゲ海の島々を周り文化を広げる役割もになっていました。
フェニキア人は、古代ギリシャにもワインを伝えます。ワインは古代ギリシャ人にも愛され、造られるようになっていきました。
その結果、お酒の神様「バッカス」が誕生します。ギリシャ神話には酒神バッカスがワインをもたらしたと記されていますが、ワイン愛ゆえの記述かもしれません。
世界で2番目に古い法典とされる「ハンムラビ法典」にも「酒癖の悪いものにはワインを売ってはならない」と記載されています。ワインはどんどん人々の身近なものになっていったようです。
紀元前1000年頃 ローマ帝国からフランスへ
ギリシャ人に愛されたワインはローマ帝国へ、さらにフランスへと伝わっていきます。大きなきっかけとなったのは、ジュリアス・シーザーが率いるローマ軍のヨーロッパ侵攻です。
ローマ軍とともに、フランスのブルゴーニュ、ボルドー、シャンパーニュなど各地にワイン造りは伝わりました。また、貴族階級がより上質のワインを求めたことにより、フランス国内のワイン造りはさかんになっていきます。
やがてフランスでは、宮廷文化が花開きます。「肉料理には赤ワイン、魚料理には白ワイン」などの考えが生まれたのも、フランスの食文化からでした。
ブルゴーニュ、ボルドー、シャンパーニュという地名は、ワインの話題の中で一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。これらの地方は、紀元前の時代からワイン造りが行われていたのです。
西暦1000年頃はキリスト教の布教からヨーロッパ各地へ
紀元前に中東周辺で生まれたワインは、ローマ帝国からフランスへと広がり根付いていきます。さらにワインを拡大させたのは、キリスト教の布教活動です。
ローマ帝国では、キリスト教を国教としていました。聖書には「パンはわが肉、ワインはわが血」とイエス・キリストが表現したと記されています。このことから、ワインはお酒でありながら、別の意味合いも持つものへと変貌していきました。
神聖なものとして取り扱われるようになったワインは、ミサなどのキリスト教の行事に欠かせないものになります。ローマ帝国も、キリスト教の布教とワイン造りを奨励しました。
ワイン醸造を大きく発展させたのは、修道院です。ワインは修道院でも造られるようになりました。当時の修道院は学校や研究所としての機能も兼ねていたため、ブドウ栽培から醸造にいたるまでの技術をより高めることにつながります。
また、王族や貴族階級の人々もワイン造りに力を入れます。ブドウ畑や技術といったワインをより上質なものにするものを所有することが、権力の象徴でもあったのです。
キリスト教とともにヨーロッパ各地に伝わったワインは、より本格的に発展していくことになります。フランスをはじめ、ヨーロッパのワインが有名なのはこのためです。
私たちが知っているワインの姿にだんだんと近づいてきました。やがてワインは、キリスト教徒とともに海を渡ることになります。
1483年には日本に伝わる
日本にワインが伝わったとされるのは1483年です。室町時代後期から戦国時代初期の公家日記「後法興院記(ごほうこういんき)」に、ワインの記述があります。
この記録によると、関白であった近衛家の人が「珍蛇酒(チンタシュ)」を飲んだとされています。珍蛇酒とは、スペインやポルトガルの赤ワインであると考えられているものです。
日本には奈良時代からブドウがあったとされ、「日本書紀」や「古事記」にも記されています。しかし、ブドウは生食でしか口にされるものではなかったようです。
お酒といえば米から造るものだと考えられ、飲み水も豊富な国である日本は、ブドウからお酒を造る必要がありませんでした。ブドウから造った赤い色のお酒は珍しかったことでしょう。
その後、1549年には宣教師フランシスコ・ザビエルが、続いてルイス・フロイスがやってきます。ルイス・フロイスといえば、あの織田信長と接見していたといわれる宣教師なんですね。
宣教師は珍蛇酒をはじめさまざまな贈り物をしていました。そのため、織田信長も珍蛇酒、つまりワインを飲んでいたようだと考えられています。
しかし、日本でワイン造りが始まるのはこれからずっと後の時代になります。ヨーロッパから遠い東の島国であったことと、キリスト教の排除、鎖国があったためです。
日本のワイン造りが本格的に始まったのは、今からおよそ140年ほど前。明治時代になってからです。
ワイン全体の歴史と比べると、日本の歴史はかなり浅いことになります。しかし、現在の日本のワインは急速な発展をとげています。
1600年代にアメリカ大陸に伝わる
1600年代に入ると、スペインなどのキリスト教徒たちは海を渡り植民を始めます。大航海時代のはじまりです。
スペイン人たちはブドウを持ち込み、キリスト教には欠かせないワイン造りも始めます。しかし、ブドウは植えられた地域によって異なるものができる植物です。同じ品種を植えたとしても、同じものが実るとは限りません。
そのため、人々はブドウ栽培に適した土地を探し、試行錯誤してワインを造りました。アメリカ・チリ・アルゼンチンなど産地によって味や風味の異なるワインが生まれたのはこのためです。
また、地域に合わせたブドウ栽培の方法やワイン醸造には、新しい技法も研究され用いられました。これがワイン品質を向上させることにつながります。
こうしてアメリカ・チリ・アルゼンチンなども新たなワインの産地になります。これが「新世界ワイン」のはじまりです。実は日本のワインも新世界ワインの1つです。
1788年にオーストラリアに伝わる
1788年には、オーストラリア大陸にもワインが伝わります。これは、英国海軍大佐のアーサー・フィリップによってブドウが持ち込まれたところから始まりました。
アフリカのケープタウンを経てオーストラリアに渡り、シドニーにブドウを植えたとされています。しかし、この時のブドウ栽培は失敗に終わったようです。
オーストラリアでワインの父と呼ばれているのは、ジョン・マッカーサーです。1820年、彼はフランスやスイスを旅行し、ブドウ栽培の技術を持ち帰ったとされています。
オーストラリアのワインが本格的に造られるようになったのは、1827年頃。ジョン・マッカーサーとその息子の手によるものとされています。その後、ワインはオーストラリアでも発展をとげていくことになります。
1819年にニュージーランドに伝わる
ニュージーランドでのワイン生産の歴史は1819年、北島にブドウが持ち込まれたことから始まります。そもそもニュージーランドには、ブドウがありませんでした。
初めてブドウを持ち込んだのは、イギリス人宣教師であるサミュエル・マースデンです。北島でワイン造りが始まったのは1852年、南島では1875年頃だといわれています。
ヨーロッパがそうであったように、ワインはキリスト教と一緒に世界中に拡大していったことがわかります。
19世紀後半 ヨーロッパがフィロキセラの虫害に襲われる
世界中に広がり人々の中に浸透していったワインですが、19世紀後半に大ピンチが襲います。フィロキセラ害虫の大発生です。
フィロキセラ害虫は、品種改良のためにアメリカから持ち込まれたブドウについていたとされています。これがヨーロッパ中のブドウ畑の3分の1を枯れさせてしまいました。
しかし、アメリカ原産のブドウはフィロキセラ害虫の影響を受けません。そこで人々は、アメリカ系のブドウの台木に、ヨーロッパ系のブドウを接ぎ木する方法を考え出します。
これによりヨーロッパ系のブドウの実は守られ、ワインは復興しました。今では一部地域を除いて、世界中のブドウのほとんどでこの方法がとられています。
まとめ
紀元前から現在まで、人から人、国から国へとバトンタッチされてきたワイン。ワインの歴史をみていくと、人類の文化の歴史もみえてきます。
初めてワインを飲んだ日本人はどんな気持ちだったのでしょうか。信長が飲んだワインはどんな味がしたのでしょうか。
ワインには、文明が始まる前からの歴史がつめこまれています。お酒の席で、マメ知識として話題にしてみるのも良いかもしれません。産地によって味や風味の異なるワインを歴史とともにお楽しみください。